2009/09/25
23:08:05
結局一番わからないものというのは自分なのではないか
自分とは何か
わかった気になって勝手に形を作っているだけだ
自らにおいて自らをどういうものなのかわからないからこそ悩むのかもしれない
やはりそこには自らを主観でしか見れず客観的には見れないというものもあるかもしれない
または自分はこういうものだという先入観、自意識によって作られているのかもしれない
あるいはこれまでの生活環境によって生み出された価値観によって構成された考えで動くことにより生じたものでしかないという場合なのかもしれない
「今の自分は本当の自分ではない、皆の知らない自分がある」
そう言うことにより、
その本当の自分と言われるものも自意識によって生み出されたもう1つの自分になってしまう。
察するに
自分という存在はどういうものなのか。
それを意味付けることはできない
意味付けている時点でそれは自分が作り出した偶像だ。
そして自分という存在はどういうものなのか、というものの一部分を抽象的に受け取ることが出来るのは自分ではない他人でしかない。
そこで他人にあなたはこういう性格だと言われることにより先入観が生まれてしまうのだろう
私達は自らをどういうものかわからない。
相手は相手で自らの価値観に当てはめて抽象的に私達を受け取っているにすぎないのだ。
自分の存在も日々無意識の範疇でも変わっていく
その場に適応するためかもしれない
まとまっていない文だが
言うなれば
自己はどういう物かというところに意味付ける意味はない、意味を付けることはできない
自分の性格というのは常に決まっているものではなく、ようはまわりの感じよう。それが常に一定という場合もあるが
こんな文を読んでくれてありがとう。
自分とは何か
わかった気になって勝手に形を作っているだけだ
自らにおいて自らをどういうものなのかわからないからこそ悩むのかもしれない
やはりそこには自らを主観でしか見れず客観的には見れないというものもあるかもしれない
または自分はこういうものだという先入観、自意識によって作られているのかもしれない
あるいはこれまでの生活環境によって生み出された価値観によって構成された考えで動くことにより生じたものでしかないという場合なのかもしれない
「今の自分は本当の自分ではない、皆の知らない自分がある」
そう言うことにより、
その本当の自分と言われるものも自意識によって生み出されたもう1つの自分になってしまう。
察するに
自分という存在はどういうものなのか。
それを意味付けることはできない
意味付けている時点でそれは自分が作り出した偶像だ。
そして自分という存在はどういうものなのか、というものの一部分を抽象的に受け取ることが出来るのは自分ではない他人でしかない。
そこで他人にあなたはこういう性格だと言われることにより先入観が生まれてしまうのだろう
私達は自らをどういうものかわからない。
相手は相手で自らの価値観に当てはめて抽象的に私達を受け取っているにすぎないのだ。
自分の存在も日々無意識の範疇でも変わっていく
その場に適応するためかもしれない
まとまっていない文だが
言うなれば
自己はどういう物かというところに意味付ける意味はない、意味を付けることはできない
自分の性格というのは常に決まっているものではなく、ようはまわりの感じよう。それが常に一定という場合もあるが
こんな文を読んでくれてありがとう。
コメント
No title
どういたしまして^^
蒼│URL│2009/09/28(Mon)21:20:02│
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