2009/08/08
17:38:03
言葉ってなんだ?
「相手に意志を伝えること」
そして今書いている文も言葉である。
ではこの言葉というそのものについて考えてみる。
言葉の意味を追及していくと最終的に動作になりその動作とその言葉を結び付けて理解できるようなものになる。しかし中には動作には出来ないようなものがある。
そう「愛する」のように。
これを言う前に前のものを考えてみよう、最終的に動作になるということは言葉は破綻し説明できない領域なのだ。つまり言葉を言葉で説明することは不完全なことなのだ。
だから愛するということについて、まあこれは一種の精神的動作だがいくらこれに言葉で表現を羅列しようとそれは不完全なものでただ愛するというものへの手がかりのようなものにしかならない。だから精神的動作には完全な言葉での説明はできず抽象化されたものしか受け取れない。
だから哲学でも言えるのが読むと中には何言っているかわからないような表現の羅列がされているときがある。これは表現できない領域をなんとか表現しようとした形態であり不完全ながらも手がかりとともに相手に伝えようとしているのだ。
それに精神的動作は人により解釈の仕方が違う。すべては一つに統一化されていないからこそこうなるのだ。だからこそ精神的動作は定義もできない。
ここで矛盾がある。
私が書いている文字も言葉である、よって言葉を言葉で説明する点で不完全だしさらにそれを使って不完全なことを不完全なもので説明しようとしているところで矛盾ができるのだ。
結局言葉なんて完全に説明できない。
それでも私達は使わなければならない。
なぜならそれが「必要」だからだ
「相手に意志を伝えること」
そして今書いている文も言葉である。
ではこの言葉というそのものについて考えてみる。
言葉の意味を追及していくと最終的に動作になりその動作とその言葉を結び付けて理解できるようなものになる。しかし中には動作には出来ないようなものがある。
そう「愛する」のように。
これを言う前に前のものを考えてみよう、最終的に動作になるということは言葉は破綻し説明できない領域なのだ。つまり言葉を言葉で説明することは不完全なことなのだ。
だから愛するということについて、まあこれは一種の精神的動作だがいくらこれに言葉で表現を羅列しようとそれは不完全なものでただ愛するというものへの手がかりのようなものにしかならない。だから精神的動作には完全な言葉での説明はできず抽象化されたものしか受け取れない。
だから哲学でも言えるのが読むと中には何言っているかわからないような表現の羅列がされているときがある。これは表現できない領域をなんとか表現しようとした形態であり不完全ながらも手がかりとともに相手に伝えようとしているのだ。
それに精神的動作は人により解釈の仕方が違う。すべては一つに統一化されていないからこそこうなるのだ。だからこそ精神的動作は定義もできない。
ここで矛盾がある。
私が書いている文字も言葉である、よって言葉を言葉で説明する点で不完全だしさらにそれを使って不完全なことを不完全なもので説明しようとしているところで矛盾ができるのだ。
結局言葉なんて完全に説明できない。
それでも私達は使わなければならない。
なぜならそれが「必要」だからだ
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